小学館の創立85周年企画「全集・日本の歴史」全16巻の第9巻である。
昔のオレはもっと完璧主義というか,本末転倒のコレクター根性が旺盛で,こういうシリーズの中から1冊だけをナカヌキして買うってのができなかった。そのせいで今ウチには「全巻持ってるけど中に何冊か全然読んでない本がある」というシリーズものが数種類ある。80年代にけっこうムリして買った国書刊行会の「定本ラヴクラフト全集」も第7巻II「詩編」と第9~10巻に亘る「書簡集」には全く手が付いてない。死ぬまでに一度でもヒモトク機会があるのだろうか,この歳になるとそろそろ不安である。
と,まぁそういう反省に立って最近はこの本のようにシリーズのなかの1冊でも面白そうなら単品で買うのである。
この本を買ったのは,どちらかと言えば夏目漱石「坊ちゃん」の主人公に共感して「明治維新は日本の夜明けだ,薩長閥万歳,近代国家万歳」という…なんてんですか司馬遼太郎ファン史観(都合よくトリミングされて使われてるだけで,司馬さん自身の歴史観がそういうモンだったわけではないように思うけどね)がキライなオレが,常々「江戸時代の幕府の方針であった『鎖国』という政策はそんなに悪くなかったんぢゃなかろうか」と思ってたから。
著者であるイリノイ大学教授のトビ先生は,若き日の江戸,もとい東京早稲田大学留学中に抱いた「『鎖国』と言うたかてオランダや朝鮮,琉球(当時は「外国」だかんね)との付き合いはあったんだし,当事者,つまり当時の江戸幕府の偉いヒト達には国を鎖す(くにをとざす)なんて意識はなかったんとちゃうんやろか」という疑問から出発,この視点から日本近世史の見直しを提唱しているヒト。
ここにその論拠・論点の仔細に触れる紙幅はないが,だいたいこの「鎖国」ちう用語自体が江戸も後期(1801年)に元長崎オランダ通詞・志筑忠雄というヒトが「今の日本人が全国を鎖して国民をして国中国外に限らず敢えて異域の人と通商せざらしむる事は,実に所益あるによれりや否やの論」というドイツ人ケンペルの著書を翻訳した際に,この原題はあんまりにも長過ぎるだろ,とひねり出したもんだと言うだけで「へぇ」と思うでしょ。つまり「鎖国」って日本と貿易したい外国のヒトが日本の政策を批判する用語だったんだよ,旦那。
自らも西洋人であるトビ先生(日本人に「毛唐」と呼ばれたこともあるそうで,この言葉の語源・来歴も明らかにしてます)はしかし,そういう観方は貿易を拒まれた欧米人のものであり,東アジアの一国としての日本はけして国など鎖していないし,そういう自覚もなかったとし,その外交の最大のものである朝鮮との関係に的を絞って徳川幕府の外交戦略,情報操作,それを受けての一般国民の対外意識などを追っていく。歴史なんかに興味はないぜとおっしゃる方も,日本絵画におけるフリル=外国人フラグ論などは楽しいと思う。実にエキサイティングな読み物でありました。