ミス・シェパードをお手本に ニコラス・ハイトナー監督

 ロンドン北部,ヴィクトリア時代の雰囲気が色濃く残るカムデン・タウン,緩やかなカーブを描く坂道がグロスター・クレセント通りはリベラルな住民が多く住む住宅街だ。1960年代の終わり,その坂を下りきった23番地を購入して移り住んだ劇作家アラン・ベネット(アレックス・ジェニングス)は,この通りにオンボロのヴァンを停め,そこで寝泊まりしている老女ミス・シェパード(マギー・スミス)の存在に気づく。

 噂によればもともとは丘の上にある修道院の修道女だったらしいが,それがなぜ路上で暮らすようになったのか詳しいことは誰も知らない。子供のなかには魔女呼ばわりする者もいるが,住民達は概ね彼女を受け入れており,時には親切に食べ物を差し入れたりもする。が,それに対して感謝の言葉はなく悪態をつくばかり。子供が練習する楽器の音を騒音だと言っては別の家の前に移動し,いつしかベネットの家の前に。

 それまでも郊外の実家に一人で住む母親の言動などをネタに戯曲を書いてきたベネット。頑固で無礼,それに臭うこの老女のことを作品にしようなどとこれっぽちも思っていなかったし彼女の生活に深入りする気もさらさらなかったのだが,駐車違反に関する法律が変わり,今までのままでは追い立てられることになった彼女にちょっとした親切心から「うちの車寄せに…」と。

 「ほんの三ヶ月ほど」のつもりだったこの提案から15年。ミス・シェパードは相変わらず悪態をつき悪臭を振りまき,どこからか新しい三輪自動車まで手に入れて勝手気ままに暮らしているが,寄る年波には勝てず,最近は体調が優れないようだ…。ある日,三ヶ月に一度やってくる社会福祉士の勧めで施設に体験入所することになったシェパード,風呂に入り清潔な服に着替えた彼女の前に現れたのはピアノ…。

 冒頭,字幕で出るようにこれ「ほとんど事実」の物語。

 1989年に彼女が亡くなったあとで初めてベネットは彼女のことを書き始める。回想録が出版され,それを読んだミス・シェパードの弟から連絡が入り,彼女の人生の前半部分が明らかになった。若き日,名ピアニスト,アルフレッド・コルトーに師事して将来を嘱望されたマーガレット・フェアチャイルドは修道院で音楽を禁じられて精神を病み,停車中のヴァンへ突っ込んできたバイクの若者の死に動顛して逃亡,追われる身となった。

 死後に判明したその辺りの事情を織り込んで1999年に完成した戯曲「The Lady In The Van」は,この映画と同じマギー・スミス主演で上演され九ヶ月のロング・ラン。彼女の代表作のひとつとなった。それから15年,今回の映画化に当たっても出演を打診されたマギーは「是非演りたい」と即答したそうな。この大女優の入魂の演技,是非大きなスクリーンで観てくだされ。


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