姓は丹下,名は左膳。ご存知の通り,あの隻眼隻腕の怪人にして「あしたのジョー」の丹下拳闘クラブ会長・丹下段平の名前のネタ元である。
子供のころ,夏に浴衣など着せられると必ず右腕をたもとに入れ,片目を瞑って(白状するとオレは左目はできるのだが右目のウィンクができない。したがって厳密には丹下左膳になってない。まぁ勘弁してちょうだい)丸めた新聞紙など振り回した記憶がある。その時にはあの大河内伝次郎の滑舌の悪い「シェイはタンゲ,ナはシャゼン」というのをまんま真似していたような気がするので,あるいは大河内の左膳映画をTVなどで観ていたのかも知れないのだが,そのスジに関しては全く記憶にない。
あと丹下左膳と言えば,手塚治虫が林不忘の原作を元に描いた「丹下左膳」を…中学生くらいかなぁ,あるいは高校かもしれぬが読んだことがあり,タイトルからトヨエツ主演のこの映画もあれをベースにしたものだと踏んで観に行ったわけなのだが…,事態はもそっと複雑なんであった。
手塚版(つかほぼ林不忘の原作通りだと思うんだが)では宿無しのルンペンみたいだった左膳(豊川悦司)がいきなり矢場の用心棒やっててその女将お藤(和久井映見)と夫婦喧嘩やってるし,そもそも江戸に着く前に盗まれていたはずの柳生家の秘宝・こけ猿の壷が,なんとこの話では司馬道場からガラクタとして回収屋に売り払われてしまうのである。
この回収屋から金魚鉢の代わりとして壷を貰った少年ちょび安(武井証)が祖父を暴漢に殺されて孤児となり,その事件のきっかけを作った左膳が不憫に思って彼を引き取る。一方あの壷に百万両の価値があると知った司馬道場の婿養子・源三郎(野村宏伸)はその壷を探すと称して町に出るが,探索そっちのけでお藤の矢場の姉ちゃんや意気投合した左膳,ちょび安などと遊ぶばかり,目の前で安が抱えている壷にも気づかない。
おまけにようやく気づいたと思ったら妻の萩乃(麻生久美子)に浮気がバレて一切の外出を禁じられちまうという…いやこれ,野村宏伸ハマってましたな。…期待してた活劇とは違うが実に楽しくよく出来たチャンバラ人情コメディ,堪能して帰宅しちと調べてみたらこれ,1935年に大河内伝次郎主演,山中貞雄監督で撮られた「丹下左膳餘話 百萬兩の壷」のほぼ忠実なリメークなんだった。
山中貞雄作品は,原作からのあまりの逸脱ぶりに(逸脱というよりは換骨奪胎だが)林不忘が怒り,映画のクレジットから自分の名前を外させたという曰く付きの作品なんだが,実は戦前の完全版が残ってない(現存するのはGHQによってチャンバラシーンがカットされたもの)。そこをちゃんと再現したこの映画があんまり知られてないのはもったいないよなぁ。オレは公開時に劇場で見たんだが広い東京で恵比寿ガーデンシネマだけの単館上映だったんだぜ。