2015年に亡くなったドイツの社会学者,ウルリッヒ・ベックの「個人化」概念をキーワードに現代社会,とりわけ現代日本の問題を検討しようという論文集。めんどくさいけど,やっぱり「個人化って何?」ってところから書き起こさなければならんわな,レビューする場合…えっと。ベックの個人化って概念は,ざっくりいうと「社会の発展に伴う個人の自由の拡大」のことである。
わかりやすいだろうから日本を例にとって説明する。江戸時代には身分の固定制度があり,移動の自由もなかった。まぁじつはそれほど厳格な運用はされてなかった,というのが最近の定説だけどね。それにたとえば時代劇なんてのは現代に生きる我々のモノサシで描いてるので,そういう制度の理不尽さみたいなものが強調されるけれど,生まれた時から「そういうもの」であればさして不満もなく生きてくもんですニンゲンなんて。
明治維新によってこの箍が外れ,いや外れたわけぢゃないか緩くなって明治文学を勉強すると必ず出てくる「近代的自我の目覚め」みたいなものが訪れる。とは言えまだまだヒトは家や所属する組織,そしてなによりも国家から自由ではなかった。特攻隊なんてクニが「死ね」つうから死んだわけだし,ムスメが家族のために女郎屋に身を売るってんだって悲惨ぢゃないかったらもちろん悲惨なんだけど,ぢゃ逃げちゃうかったら逃げない。そこで逃げられるほど「個人」ではなかった。
そして20世紀末,インターネットの普及や経済のグローバル化によって「個人化」はもう一段階進んだ。
ほんでコトここに至って,これまで「個人化」の進展を「自由の拡大」として歓迎してきた,はっきり言えばこの本に寄稿している学者さんみたいな考えのヒト達の中から「え,なんか変ぢゃね?」という疑問が出てきた。「個人が国家から自由になるってのは『餓死しても自己責任だよ〜ん』てのとは違うんぢゃねぇか」と。でも実際に「個人化」はそういうメソッドで進んでる。
そういう意味では「個人化」も「資本主義」も似たようなもんで,オレを含むほとんどのヒトがだからって江戸時代みたいな社会制度に戻すべきだとか,いまこそマルクス=レーニン革命をもう一度とかは思わない。思わないんだけど,そっから一所懸命逃げよう逃げようと走ってきたら,着いた世の中もニンゲンにとって住みよいトコロぢゃありませんでした。メーテルリンクの「青い鳥」の裏返しみたいな話である。
もちろん一方にはそういう「個人化」の進行に対する反発する動きもあり,いわゆるネトウヨの皆さんはニンゲン同志の関係をもっと国が,地域が,家庭が大きな意味を占めていた時代のプロトコルに戻すべきだと考えてるらしい。でもハタから見てるとあれって反発というより個人的自由に対する生理的恐怖みたいに見えるトコもある。フロムのいう「自由からの逃走」みたいな感情かもしれぬ。
とにかくそんなこんなで,これはそういう日本社会の現状報告と問題提起みたいな本なんだけど,都知事選挙の話題たけなわな中,社会に関してちょっとオルタナティヴな知的読書をしたいムキにはオススメである。