ウチの本棚に2001年に現代人文社から出たブックレット「神様,わたしやってない ゴビンダさん冤罪事件」がある。1997年,東京都渋谷区,京王井の頭線神泉駅近くで発生した殺人事件,所謂「東電OL殺人事件」の犯人として無期懲役を宣告され,服役中だったネパール人,ゴビンダ・プラサド・マイナリ氏の冤罪を訴え,その救済を呼びかけるブックレットだ。
後出しジャンケンみたいに思われるかも知れぬが,逮捕直後から「こりゃ冤罪だろ」という感触があった。
たとえばマイナリ氏有罪の証拠のひとつ,アパートのトイレで発見された彼の精液入りのコンドーム。精子の劣化状況から10〜20日前のものとされ,マイナリ氏は20日前に被害者と関係を持った時のものだと証言。死体発見は生きている被害者が最後に目撃されてから10日後。だから彼が犯人でもおかしくないという話なんだが, いくらマヌケでも性交してその相手を殺したオトコが自分の精液入りのコンドームをその場のトイレに捨ててくか? しかも流しもしないか?
もうひとつ。死体発見の7日前,既に行方不明になっていた被害者の定期入れが豊島区巣鴨5丁目の,しかも民家の敷地内で発見されていること。当時マイナリ氏は千葉県幕張のレストランでアルバイトをしており,死体発見現場の隣にあった住居から通っていた。巣鴨はこの通勤路から大きく外れた,マイナリ氏に縁もゆかりも,従って土地勘もない場所である。定期入れなんて処分に困ったら台所の流しで燃してしまえばいいくらいのもんである。わざわざ電車賃使って見ず知らずのところに捨てに行くか? しかも民家の庭に投げ入れるなんて,逆に見つけてくださいてなもんではないか。
副題に「DNAが暴いた闇」とあるように,本書は2011年7月21日読売朝刊のスクープ「被害者の体内から採取された精液のDNA鑑定の結果,これがマイナリ氏でも事件当日彼女と関係を持ったことを証言している男性でもない第三者のもので,現場で発見された陰毛と一致」から2012年6月のマイナリ氏釈放までを追ったドキュメントである。取材の当事者たちがまとめたものだけにその臨場感は満点。入管法違反で逮捕され,彼に不利な証言をして帰国した当時のマイナリ氏の同居人たちを訪ね歩いて集めた証言も戦慄もの。
だが,ちょっと割り切れない,のどの奥に刺さった小骨のようなものも感じないではない。それはこの取材に当たった記者たちが「新聞記事のデータベースなどを使って事件の詳細を」調べ,既に退任している当時の捜査官などに話を聞きに行き,上にも書いたように遂にはネパールへあるいはアメリカへと飛びながら,当時読売新聞社内でこの事件の報道に関わった誰某にはなんのアプローチもしていないこと,あるいはしたと書いていないこと,である。
ブックレット「神様,わたしやってない」には,この事件の背景に,マイナリ氏のような外国人労働者が,92年のバブル崩壊以降ダブつき日本社会から厄介者視されるようになった雰囲気があったのではないか,という一節がある。日本入管は景気が悪くなったとたん,それまで不足がちな建設・土木現場の作業員として重宝され事実上違法滞留を黙認してきた彼らを一転厳しく取り締まるようになった。その中で警察にも「捜査線上に外国人がのぼったなら犯人に違いない」という思いこみが醸成されていたのではないか。
そして,読売…のみならず,朝日,毎日その他の新聞も,そうした思いこみに乗っかった事件報道しかできなかったのではないか…と,当時の報道を憶えているオレなど思うのだが,この本のどこを読んでも当時この事件の「報道」に関わった読売記者への取材はないのである。
そりゃ14年も経って、下手すりゃとっても偉くなってるかもしれない先輩に「当時捜査のこの辺について疑問とか持たなかったんですか!?」と聞きにくいのはわかる。でも元捜査員のとこには行ってるんでしょ? 行けよ,こら,と思いますよワタシは。思いません? あ,為念。取材ではなく当時のキャップによるあとがきはある。「我々にも偏見があったかも,検討が必要」てな決まり文句だけど。
そんで、真犯人は今どこでどうしてるんだろうな?