TVの時代劇で役者が結ってる丁髷はご存知の通りカツラなので,何日経っても月代(さかやき)部分の毛が伸びてこない。が,江戸時代の日本人も当然ながら我々と同じ人類だったので,いくら青々と月代を剃っても数日経てばうっすらと毛が生えてくる。え,現代人にも生えない人はいる? そういう人はもともと月代を剃らないではないか。
とにかくそういうわけなので,時代劇ではないリアル江戸の市中には,昨日月代を剃った人,一昨日月代を剃った人,三日前に剃った人,ずっと剃ってない人(これはたまに出てきますね,牢人者とか)が入り交じってうろうろしていた筈。それでは…もちろん貧富の差洒落っ気の差と個人差はあろうが,彼らは平均どのくらいの頻度で月代を剃っていたのだろうか。
本書によれば嘉永四年(1851年),江戸の髪結は統一価格で一人一回二十文。これが高いか安いかは夜鳴き蕎麦一杯十六文(いわゆる二八蕎麦というのは蕎麦粉の割合ではなくこの値段から来てるらしい)から各自感じ取っていただきたいが,この他に回数券というか月決めクーポンみたいな価格があって,月十五回なら三百文,月六回なら百文である。
当時の暦は太陰暦なので一月の日数はかっきり三十日。つまり洒落者は三百文払って二日に一度髪結いに行き,それほどでもない者でもまぁ五日に一度は月代を剃っていたと考えられる。江戸の町に「カリスマ髪結い」がいたかどうか定かではないが,いまほどキテレツもとい個性的な髪形にできるわけもなく,値段が一律なら普通の人は同じ町内の髪結いに通う。
で,その髪結い商売,日本橋小網町での沽券状(営業権利証みたいなもの)の総額がおよそ千八百両,これが霊岸島界隈(現在の中央区新川辺り)になると五千百両を超える。これはとりもなおさず小網町で髪結いをやるより霊岸島でやるほうが約三倍弱儲かったということ,つまりはそんだけこの町内は人口密度が高かった…。
こんなふうに江戸町奉行を始めとする各種役所が残したいろいろな統計をもとにリアルな江戸の商売を解き明かして行く好著。これは面白いよ。なにしろ上に書いた髪結いの話で,まだほんのプロローグ,最初から15ページくらいまでに過ぎないのだから。これを読めば明日から時代劇を観るのが二倍,いや三倍楽しくなること請け合いである。