害虫の誕生–虫からみた日本史 瀬戸口明久著

 ついてるオビに「なぜゴキブリは嫌われるのか?」と大書されていた(kindle版ではついてません)。そんなのあたりまえぢゃないか,と思いますか? 本書によればゴキブリが現在のように「害虫」として扱われだしたのはごく最近,なんと戦後になってからなのだ。そもそもこの昆虫をよく見かけられるような,食物が豊富で冬でも温かい環境が一般に普及したのは高度成長期以降のことであって,それまで普通のヒトにとって「お金持ちの家にいるムシ」であり,地方によっては憧れの対象であったところもあるとか。

 この例のように「害虫」は人間の側の都合によって誕生し,近代国家の形成,植民地支配,戦争などと密接な関係を持ってきた。本書は日本近代史を,この「人間と害虫との関わり」という視点から再構築したものである。え,人間と害虫との関わりって蚊取り線香とか殺虫剤の歴史かって? もちろんそれもある。いやそれどころか,殺虫剤を発端にしてどんだけのモノガタリが紡ぎ出されるか……。

 もちろん江戸時代にも蚊はいてちゃんとヒトの血を吸い,マラリアなどの病気を媒介してもいた(ハマダラカが媒介するこの病気は「おこり」と呼ばれていた)。ただ,誰もこの病気が蚊に刺されたせいだとは思わなかったから「刺されると痒い困ったムシだ」くらいに思い,せいぜい寝る時に蚊帳を吊るくらいのことしかしていなかった。

 明治18年,農学者の玉利喜造がアメリカから除虫菊の種子を輸入して東京農林学校で研究を開始,翌年にはあのKINCHO(大日本除虫菊)の創業者上山英一郎も和歌山で栽培を始めた。当初,除虫菊は農作物を虫害から守るための農薬として研究されたが,明治末期にはあの渦巻き型の蚊取り線香として定着する。農薬としてはヒ素や青酸も使われたが高価なため普及はしなかった。

 20世紀の幕開けを告げた第1次世界大戦で,当時世界の化学産業を牽引していたドイツが毒ガスを使用。その威力に驚嘆した各国は俄然自国における化学産業の発展に力を入れる。農薬としては高すぎた毒物も戦争に使えるとなれば軍から金が出る。害虫を殺すための研究はいつしかヒトを殺す研究に転化し,第2次大戦で日本は実戦に毒ガスを使った唯一の国となる……。

 その他,あの有名なDDT散布の目的はシラミ退治ではなくシラミが媒介する発疹チフスの流行を抑えるためだったとか,大戦中アメリカでは日本人を害虫にたとえるプロパガンダがさかんだったとか。どっすか。オレのようなムシ好きだけでなく,いわゆるモノゴトの裏面史というか「教科書に載ってない歴史」みたいなものに興味のあるヒトも「え,そーなのか」と思ったんやない? あ,最後に補足。そういうわけなのでこの本を読んでもお宅のゴキブリは退治できません。そっちを期待される方には「ゴキブリ取扱説明書」(青木皐著)がお勧め。つうかね,この本の教えに従ってからウチではゴキブリ見てません,ホントよ。


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