この本を読んだ2013年、伊勢神宮20年に一度の式年遷宮だというのでニュースなどもかまびすしかった。つか,その20年前の1993年にこんな騒ぎはなかったような気がするんだが。あんときはバブル崩壊直後でみんな意気消沈していたから? 昔だったらそういう時こそ「お蔭参りだええぢゃないかええぢゃないか」の好機だったんだろうけどな。
でまぁ,それはさておきこの本である。題名通り,犬が伊勢参りをしたのである,江戸時代には。
そんなばかなぁって? もちろん江戸時代にも疑う者はいた。大田南畝は「半日閑話」に「牛馬犬まで参宮せしとの虚説区々なり」すなわちマユツバであると書いた。しかしそういう噂があったことは事実であり,火のないところに煙は立たないのは徳川の世も今も変わらない。
上のごとく南畝が記した明和八年(1771年)。この年も式年遷宮が行われ山城・宇治を中心にお蔭参りが流行した。その4月16日午の刻,赤と白まだらの毛色の雄犬が一匹,施しの握り飯を貰って食い,真一文字に外宮へ。北御門口から入って手水場で水を飲んだのち本宮に来て広場に平伏して拝礼の格好をした。その様子が尋常ではないと観た神官達は他の犬のようにこれを追わず,他の参詣人と同様の御祓を首にくくりつけて放してやった。
ここまでなら犬の格好がたまたま拝礼に見えたのだろ,酔狂な神官もいたものだ,で済んだろう。ところが犬はそのまま一之鳥居口から出て内宮に向かったのである。内宮の神官,御祓を付けた犬を見て子供のいたづらとでも思ったか杖でもって追おうとする。追われて犬,南にまわり五十鈴川を渡って内宮本宮の広前へ。そこで外宮でと同じように拝礼をした。さぁ,さすがにこれは追いだすわけにはいかない。
やがて犬の飼主が判明する。山城国久世郡槙の島,高田善兵衛。伊勢からの帰途,御祓を付けた犬だというので銭を与えた人がいたらしく,紐を通して首に巻き付けた銭が…誰かが重くて大変だろうと両替したのか,銀の小玉にしてくくりつけてあったという。道中それを奪う人もなく,また他の犬もこの犬にはけして吠えかからなかったというから,なるほどお伊勢様のご威光かも知れぬ。知れないぢゃあありませんか?
この話が広まって犬の伊勢参りが流行する。当時の人々にとって「一生に一度の伊勢参り」は夢であった。自分では行けないからせめて犬にその夢を託そうとわずかな路銀を首につけて伊勢に向けて送りだす。そういう犬を見つけると連れて帰って飯を食わせ,翌朝また伊勢の方向の街道筋まで送ってくれる人がいる。犬がどういうつもりかは関係なく,人々の善意と思い込みが次々と「伊勢参りする犬」を産み出していく……。
そもそも神宮にとって犬とはどのような存在であったかや,犬に続いて豚や牛まで伊勢参りをした事情。ひいては江戸期日本の人と犬との関係のありかたまで,犬の伊勢参りをまるで空飛ぶ円盤やネッシー,ツチノコ扱いして読まずにいるのは勿体ないくらい。面白うてやがて悲しき。終章「犬たちの文明開化」にはちょっとした嘆息も禁じえない。