実は蚊については常々疑問に思っていた。なんで連中は吸血したあとを痒くするように進化したんだろうか。
これつまり,蚊のだ液にこれから吸おうという血液を凝固させないある種の酵素が含まれていて,それが犯人の飛び去ったあとで炎症を引き起こすらしいのだが,そんなツバ,ついでに残さず吸い上げていってくれればこっちは痒くならず,蚊の方だってこれほどニンゲンに目の敵にされないで済み,八方丸く収まっていたんではないかと,そう思っていたのね。
でもこれね,とんでもない間違いであった。
もし蚊が,ニンゲンに刺されたという自覚を残さずに吸血するなんてワザを身につけていたら,人類はたぶん,いまだ日本脳炎の原因も判らず,黄熱病に苦しみ,マラリアに喘ぎデング熱やエボラや西ナイル熱や有象無象におびえながら暮らしていたに違いないのだ。吸血したあとに痒みを残す,あのひ弱そうでちっぽけな,まさしく「吹けば飛ぶような」昆虫が,時として死をもたらすさまざまな病いの媒介者だということがわかったのは,まさに刺されて発病した者が刺されたことを自覚していたからなのだから。
本書は蚊と蚊の媒介する伝染病の専門家であるハーバード大学のスピールマン博士が,ピューリッツァー賞受賞者でもあるジャーナリストのアントニオの助けを借りて,このありふれた昆虫のそのくせあまり知られていない生態,そしてそれが媒介する伝染病との長く苦しい戦いの歴史を語ったサイエンス・ノンフィクションである。いやぁ読んでて背筋が…カユくなるような本である。
巻末に,現在でも猛威を振るっているマラリア,デング熱,西ナイル熱という三種の伝染病の流行地とそれを媒介する可能性のある蚊の生息地を描いた地図がついているのだが,日本列島がどの地図でも真っ白。つまり本邦ニホンは病原菌もそれを媒介する種類の蚊もいない地域であったのだ。長い生涯,ニホンに産まれて良かったなぁ,とこれほど感じたことはありませんワタシは。日本にいる蚊なんてかわいいもんだったのだ,嫌いだけど。
(この本は文庫になったときに邦題が変わってたのでそれに変更した)