裸はいつから恥ずかしくなったか 「裸体」の日本近代史 中野明著

 江戸時代末期,続々と日本にやってきた西洋人たちがもっとも驚いたのは日本人の「羞恥心のなさ」だった。当時の日本人と来たら混浴の銭湯につかり,そこから素っ裸や下帯一つで家に帰る者も多い。暑い夏には若い娘も胸を露に夕涼みをしてその肉体を隠そうともしない…。

 そんなバカな,と思います? しかしこれは事実である。江戸時代の日本人は人前で裸になることをなんとも思わなかった。で,それを目の当たりにした西洋人たちは恥知らずだとか野蛮人だとか言ったわけだが,なにが野蛮人なもんか。互いに裸で平気なのはハダカとセックスの間に頭の中でちゃんと隔てがあるからで,ハダカ,セックス,フシダラな! と勝手に連想して下品だなんだなと息巻く連中の頭の中の方がよほど下品なのである。

 ところがなんでもかんでも西洋一番電話は二番三時のおやつは文明堂という価値観に毒された田舎サムライの連合である明治政府は「西洋人が下品ちゅうたらそりゃ下品なんだから改めにゃあかん」と銭湯の混浴を禁じ,しまいには人力車の人夫までも半裸だと言って捕まえるてなことをやり,日本人の日常から徹底的にハダカを排斥しちゃった。

 明治も半ばを過ぎ,フランス帰りの黒田清輝「朝妝」を端緒とする「確かにこれはハダカだけど芸術だからいいんだ」問題が出来,「ほんぢゃ芸術のハダカと猥褻なハダカはどうやって見分けるんだ」「裁判官が猥褻だと言ったら猥褻だ」「法律家のふにゃふにゃチンボに芸術を判断させていいのか」「オレのはフニャフニャぢゃない!」てな具合に日本のハダカは大正・昭和となお混迷の度を深めていったわけである。

 そして今,御世は平成,耶蘇の暦では21世紀。そうした先人たちの愚挙妄動の甲斐あって,いまや本邦,学齢に達せぬほどのガキのハダカにまで劣情を催すヤカラまでいるという下品極まりないクニになった。文明開化万万歳てなもんや…とまぁ,かなり乱暴に要約するとそういう本なんですけどね。

 なにしろ上にも書いた「日本ではハダカとセックスがダイレクトに結びついていなかった」という指摘は炯眼,その証拠に当時の枕絵,春画のたぐいに男女素っ裸のものはあまり観たことなかろう。おお,そう言えば観たことないな。思いつくのは北斎のあの大蛸の絵くらいだけど,ありゃもともと「蛸と海女の図」で,海女だから裸なんである。

 してみるとまったくの素っ裸より着ている衣服が乱れて隠されていた肌が露になってしまいましたという辺りにこそ我々日本人はエロチシズム,セックスを感じてたわけで,ハダカ=セックスの西洋人よりよほど文化的に複雑かつ洗練されてたんぢゃないのかと。ほんで,その「隠れたものこそエロ」という伝統だけは今も脈々と息づいているように思うのだけれど。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: