歴史の新解釈映画ってのは実は結構多い。中でも信長の最後に関しては、当事者である光秀の動機がイマイチわかんないこともあり、これまでかなりいろんな「新解釈」が撮られてきた、と思う。それだけぢゃない、信長という人物についても宣教師の文献に描写された「魔王」的なものから「実はリッパな人だった」みたいなものまで千差万別。そこに北野武が「構想三十年」をぶつけてきたわけだ。
予告編で信長(加瀬亮)がベタベタの名古屋弁を使うシーンが流されたのでナルホドと思っていたのだが、秀吉(ビートたけし…わざわざこの表記にしてたので意図があるんだろう)はほとんど東京言葉だし、家康(小林薫)も三河弁には聞こえない。ということは信長のエキセントリックぶりを強調する演出なんだな、あれ。
映画の骨子は信長の跡目。息子二人を能無しと罵った彼は、並み居る部下たちの前で「おみゃーらのなかから跡目を選ぶ」と宣言する。しかしその裏で息子信雄に「跡目はお前だ」と告げ、部下それぞれの御し方まで指南。
千利休(岸部一徳)の手を借りてこの密書を手にした秀吉(手紙にはエテ公と書かれていた)は激高。側近の黒田官兵衛(浅野忠信)に謀略を立案させる。それはハゲ(と信長に呼ばれている)こと明智光秀(西島秀俊)を焚きつけて信長を襲わせ、その光秀を自分が討って天下を獲る、という筋書き。
これに甲賀の抜忍・曽呂利新左衛門(木村祐一)だの、信長に謀反を起こして一族皆殺しにされたものの、昔から男色関係にあった光秀に匿われている荒木村重(遠藤憲一)だの、サムライ大将を夢見る元百姓茂助(中村獅童)などが絡んで豪華絢爛…と言いたいところだけど、つまりこれは「安土桃山時代の仁義なき闘い」なんだよな。
ともあれ、オレとしてはこれまで観た北野武作品の中で一番面白うございました。特に本能寺での信長の最後、NHK「あさイチ」でブレークした副島淳演じる弥助(信長が宣教師から買って側近にしていた元黒人奴隷)に悪態とともに首をカッ斬られるシーンは傑作。思わず声を上げて笑ってしまった。劇場中でオレだけでしたけど、笑ったの。