嘉永6年(1853年)にペリーが浦賀にやってきた,いわゆる黒船来航の前にも,日本と交易をしたいと言ってやってきた外国船は数多くあった。そのなかでなんでペリーだけが日本との通商条約締結に成功したか。はっきり言えば武力をチラつかせて日本政府を脅かしたのはアメリカが初めてだったんですね。雀百まで踊り忘れずというか三つ子の魂百までというか,アメリカは150年前,もう既にそういうクニだったわけ。
本書は,そのペリー来航に先立つ各国の蠢動のうち,17世紀初頭から19世紀にかけての日露交渉を追ったもの。当然ながらその舞台は現在の北海道,千島列島,樺太であり,そこにはアイヌの人々が暮らしている。江戸の初期,家康によってこの地の統治を命じられた(つうかもともとそこにいたんだが)松前藩には石高制がなく,名目は松前一万石だがその収入はすべてアイヌとの交易によるものだった。
簡単に言えばアイヌと商売をする権利を田畑の替わりに家来に与えたわけ。土地から逃げられない百姓から年貢を絞り取るのと違い,あこぎな商売をするとアイヌが寄りつかなくなって収入が途絶える。だから松前藩がアイヌを収奪してたというのはマユツバなんだと。
半農ならぬ半商の松前藩士たちはやがてその性格も商人じみてきて,松前には御殿のような家が建ち並び,一時はまるで上方のような文化水準だったそうな。ところが18世紀,ベーリングの探検に始まったロシアの東進が極まり,シベリア・カムチャツカ・アラスカの植民地経営のためには日本との交易による水や食料の調達が必須であることがあきらかになる。で,植民地経営を任された露米会社の連中が千島列島を下ってくるのだが…。
著者の渡辺先生,以前紹介した「『鎖国』という外交」のトピ教授とは意見を異にするところも多いのだが,江戸期,いわゆる鎖国政策下に生きた日本人の国際感覚のノーマルさ,という一点においては同じことを違う言葉で言ってるような印象である。
日本は鎖国をしてたから外国船に捕らえられた漂流民が帰国しても幽閉するなどして外国に関する情報が伝播するのを防いだなんて,そんな現在の北朝鮮みたいなこと,江戸幕府は一度だってやってないし,おそらくはやろうと思ったこともない。なんつうか,現代に生きる我々よりも遥かに常識人ちうか普通のヒトだったんですよ彼らは。そういうことを知る為にも広く読まれて欲しい好著であります。