お嬢さん パク・チャヌク監督

 原作であるサラ・ウォーターズの小説「荊(イバラ)の城」を読んだのは2005年のことである。19世紀英国を舞台にしたディケンズの「オリバー・ツイスト」みたいな雰囲気の話だ。当時の日記には「伏線わんさか,刮目の展開,そして衝撃の結末。なんつうか実に『正統派の19世紀風冒険活劇ただし主人公は女性です』という感じ」だ,と書いている。

 2年後の2007年,BBCが若手女性監督エイスリング・ウォルシュを起用して前後編(計181分)のテレビドラマに仕立てた。あの長大な原作をこの尺に収めただけでも見事なのに,俳優たちの体当たりの演技,テレビでやれるギリギリであろうエロチシズム表現。さすがはBBCだぜと思わざるを得ない出来だった。

 ほんでこの韓国版である。舞台は日本占領時代1939年の韓国,日中戦争はだらだらと続いているものの市井の暮らしはそれほど逼迫したものではない都市の一角。幼い頃から掏摸として育てられたスッキ(キム・テリ)に,名うての詐欺師(ハ・ジョンウ)から仕事のオファーが来る。

 郊外の巨大な屋敷に膨大な蔵書と共に暮らす上月(チョ・ジヌン)という男がいる。日本に帰化し事業を興して成功した男で,引退後はこの屋敷に住んでいる。そこには彼の義理の姪にあたる秀子(キム・ミニ)という令嬢が同居しており,この秀子と結婚する相手は彼女に遺された莫大な信託財産を手に入れることができる。

 詐欺師の依頼は,この屋敷に秀子つきのメイドとして潜り込み,伯爵という触れ込みで屋敷を訪れる自分が秀子を誘惑する手伝いをしろ,というもの。屋敷を逃れて日本に行き,結婚の手続きをしたら秀子は気が触れたことにして癲狂院に放り込んでしまえばいい。お前にもたんまり分け前をやる…と。

 まぁそういうわけでストーリーはほぼ原作通り。原作読んだヒトは知ってる通りそれだけでも充分面白いわけなんだが,実はこの映画にはもうひとつプラス・アルファがあるんである。

 唐突に話を変えるけど皆さん,オレは,ある言語がそのヒトにとってネイティブかどうかは淫語に対する反応で判断できると思ってる。

 わかりにくいか。つまりね,オレ等ってたとえば女性器や男性器の俗称(膣とか陰茎とかぢゃない下世話な言葉ね)の日本語を口にするとき,それの外国語とはあきらかに違う感情に襲われるぢゃないの。あれって他の言語を母語とするヒト達もたぶん同じだと思うわけ。

 実はこの映画の中で,秀子は上月の指導の元,彼のコレクションである猥本を朗読させられる。それを邸を訪れるコレクター達に聴かせて本を買わせる,という戦略だと説明されるのだが,なんのことはない変態爺である上月の趣味だ。で,このシーンがなんつかすごいのだ。

 役の上では日本人だが実際にはコリアンであるキム・ミニはそれらの淫語を眉一つ動かさずに読める。いや一応設定上ではそうではなく,性についてなんの知識も与えられないまま純粋に朗読だけを教えられたからそうできるのかも知れないが,キム・ミニの口から聞こえてくる日本語は我々ネイティブにとっては明らかに「非ネイティブの日本語」である。

 とね。たぶん,このシーンで我々が味わうものは,おそらく世界中で日本人だけが感じるものなのだ。韓国人である監督のパク・チャヌクがそこまで計算してこのシーンを撮ったのかどうか定かではないのだが(つうか計算してたら悪魔か,と思わぬでもないが),この映像,音声が自分の内面に励起するものを味わうだけでもこの映画は観る価値があるよ。ホント。


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