書名からも判ると思うが,これは2000年10月~11月,計4回に渡ってコレーシュ・ド・フランス(フランスで学問・教育の頂点に位置する市民大学,試験や学位授与はなく誰でも講義を受けることができる)で行われた荘子の思想に関する講義録。オビにこうある。「『荘子』を,道教や伝統から切り離し,哲学者の著作として精密に読み込んで,経験の記述をきわめたものとして独自に解釈する画期的講義」。
いやこれ,ホンマ掛け値なしに画期的なんです。
今高校でどう教えてるか知らないがオレが高校生だった40数年前の倫理社会の教科書では,荘子は「老荘思想」とか「道家」てな名前で老子とペアにされていて,老子→荘子という順で思想的に発展した,みたいな話になっていた。
三つ子の魂百までてなもんで,オレも長いことそう信じてきたんだが(別にそれで人生に支障なかったからね),ずいぶん大人になってから諸星大二郎の「無面目」という漫画を読んでそのネタ本が「荘子」であることを知り,福永先生の「荘子 古代中国の実存主義」とかを繙いてみたらなにそれ老子と荘子って師弟でもなんでもねぇんぢゃん,と。
それどころか本書の訳者あとがきによれば,テキストとしての「荘子」は「老子」より数十年から百数十年は先行して成立してたということが最近の研究で明らかになってきてるんである。それぢゃ「ロウソウ」ぢゃなくて「ソウロウ」ぢゃないか,荘子様,あなたの方が早かったのねw
つうわけで「荘子」に関しては「老荘思想」とか「道家」とかいう枠組みやそれに付随して頭に染みついてしまった先入観から脱却し,虚心坦懐,中国古代・戦国時代を生きた一人の思想家の著作として読み解いてみようやないの。実際にそうしてみると荘子の思想ってすげえ深くてしかも先進的なんだぜ,とビルデール先生は説くのである。
フランス人の先生がフランス人の生徒・聴講者に向けて喋ってるコトなので,日本語に翻訳されているとは言え(って翻訳されてなかったらオレには読めないんだけどさ),洋の東西の違いというかオレたち日本人の方が荘子のモノの考え方により近いバックボーンを持ってるというか,へぇフランス人にはこんな簡単な言い回しがそんなにまわりくどく説明されないと腑に落ちないのかと思うところもないではないが,ウィドゲンシュタインやプルースト,バッハまで引っ張り出して解説される中国哲学はかなり新鮮。
まあ逆の見方をすればニンゲンの思索なんてものはここ3,000年くらいの間同じトコロをぐるぐる回っているに過ぎぬのかもしれぬのだけれども。