犬たちの明治維新 ポチの誕生 仁科邦男著

 先にご紹介した「犬の伊勢参り」の続編…ぢゃないな,でも続編みたいなもの,である。

 かつて日本には「飼い犬」という概念がなかった。慶長8年(1603年),イエズス会によって編まれた「日葡辞書」(日本語-ポルトガル語辞書)には,犬に関わる言葉が全部で23あるが,その中に「飼い犬」という言葉はないのだそうな,え,信じられない? 著者もそうだろうと思ったのか23語全部を挙げているのでオレも引用しておこう。

犬・戌,山犬,唐犬(外国犬),むく犬(毛の長い犬),鷹犬,小鷹犬,鳥犬(以上3語は猟犬),牝犬,斑犬,里犬,犬追物,犬箱(小物入れ),犬縄,犬走(壁や塀沿いの狭い敷地),犬招き(刀の鞘の先端),犬飼星(牽牛星),戌の刻,犬鷲,犬蓼,犬桐,犬山椒(以上3語は植物名),犬死。

 このうちポルトガル語の説明に「飼い犬」という言葉が使われているものがあって,それが「里犬」である。

【サトイヌ】村里に養われている飼い犬(この「村里に…」以下の部分は「日葡辞書」ではポルトガル語なのでこれは当時の日本語ではない)。

 いろいろややこしいが(ややこしくしてるのはオレか),早い話が明治維新まで日本の犬というのは(狆を除いて)個人で飼うものではなかったのである。上の「里犬」が示す通り,一つの村,町内などに数匹いるが,誰の犬ということはなく,みんなにエサを貰ってその辺で適当に寝てたらしい。

 それが明治維新で一変した。西洋人の真似をして人々が犬を飼い始め,どうせ飼うなら賢い(子犬の時からしつけられてるからであって別に賢いわけではなかったはずだが明治の人はそうは思わなかった)洋犬がいい…というわけであっという間に純粋な和犬というのはいなくなってしまった,のである。この洋犬たちを日本人は「カメ」と呼んだ。西洋人が犬達に「Come here!」と声をかけたから,らしい。

 ところで「花咲か爺」の昔から,犬と言えば「ポチ」である。

 ご幼少のみぎりに愛読した絵本の挿し絵の印象で,オレはなんとなくこの童話(民話?)をずいぶん昔の話と思っていた。あ,いや,実際この民話自体は室町時代末期には成立してたという説もあるほど古いんだが,問題は「ポチ」だ。どうやら江戸時代までこの犬には名前がなかった。それどころか上に述べたような事情により,別に正直爺さんの飼い犬でもなかったらしい(可愛がってはいたんだろうが)。

 いつ彼は(いや,彼女かも知れないんだけど)「ポチ」になったのか。本書ではその「ポチ」の誕生についてわざわざ一章を割いて探求しており,これが読ませる。ほかにも西洋人が狆を珍重した話だとか,吉田松陰が米国船密航を犬に邪魔された話だとか,西郷隆盛が西南戦争の最中も連れて歩いていた犬の話だとか幕末から明治にかけての犬についての面白話満載だが,これが白眉。是非お読みいただきたい。

 で,誰かなんで猫は「タマ」なのか調べてない?


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