タイトルだけ見ると単なる美空ひばりの伝記のようだがどちらかと言えば内容は「美空ひばりの生涯に仮託した戦後文化論」といったもの。これまでに編まれた数多の類書や記事を網羅…はしてないだろうけど,と著者は謙遜しているがいやいやスゴイもんです,精読・整理した,ひとつの集大成とも言える「ひばり本」になっている。
え,類書を整理ってどんなことかって? 例えば美空ひばりが少女時代,NHKのど自慢に出場したときに歌った唄と鐘の数。ひばりの母親喜美枝は昭和28年の雑誌記事で「(『リンゴの唄』を歌って)鐘が鳴らず,大騒ぎになって」といい,昭和32年の「知性」という雑誌の記事には「『長崎物語』を歌って鐘が鳴らず,もう1曲といわれて『愛染かつら』を歌い始めたとたんに鐘が1つ鳴った」とある。
竹中労の「美空ひばり」では「『悲しき竹笛』を歌った。ところが,歌い終わっても鐘が鳴らない…」となっていて,上前淳一郎の「イカロスの翼」には当日審査委員だった古賀政男の記憶として「歌ったのは笠置シヅ子の歌,たぶん『セコハン娘』だった」と書かれている…と,まぁざっとこんな具合。どれがホントなのか,今となっては検証のしようもないがこうして諸説が並記されているだけでも資料としての信頼性は高い。
しかししかしなにより唸った,というかオレが深く首肯してなかなかモトに戻せなかったのは,こうした基礎的データを積み重ねた取材の上に,著者(美空ひばりより2歳年少)が到達したアーティスト・美空ひばりの作品論に関わる部分である。なにを隠そう1961年生まれのオレの記憶に残っている「最も古いひばりの歌」というのは1965年の日本レコード大賞曲「柔」である。
♪かぁつとおもうな,おもえばまけよぉ,というどっか不条理なあれですな。以降「悲しい酒」「真っ赤な太陽」,岡林信康が書いた曲や小椋佳の「愛燦々」,前世紀末に新潮社が企画した「21世紀に歌いつぎたい歌」のナンバーワンになった「川の流れのように」まで,その歌の上手さに舌を巻いたことはあってもそれ以上に何かを感じることはなかった。
オレが美空ひばりの歌にフルエるほど感動したのは,亡くなってから随分経った後のことだ。懐メロ番組かなにかで少女時代の彼女が歌う「東京キッド」の雨の降るようなフィルム(映画のワンシーン…探したらYouTubeにあった)が流れた。すごい,これが13歳の女の子の声ですか,歌ですか,情感ですかと思いました。
ちょうど発売されたばかりだった「美空ひばりトリビュート オリジナル・セレクション」というのを買って改めて「美空ひばり」を聴くと,そうなんですよ,本書あとがきに引かれている小沢昭一や黒田征太郎,本田靖春等の言葉の通りひばり全作品の中で「川の流れのように」なんて「最後に発売された」こと以外あんまり意味のない曲, ビートルズの「You Know My Name」みたいなもんなのだ(個人の感想です)。