時間はどこで生まれるのか 橋元 淳一郎著

 題名からも分かるように時間論の本である。なんで時間は過去から未来へ流れるのかとか,なんで過去はもう変更出来ず,また未来のことは分かんないのか,量子物理学の世界では時間が消滅するというのはどういうことなのか,てなことを相愛大学教授にしてSF作家でもある橋元先生が懇切丁寧に説明してくれるのである。以下,先生の論旨をオレに出来る範囲でかいつまんで紹介してみよう(我ながらちょっと無謀?)。

 まず先生は哲学者マクタガートの「時間の三系列」というのを紹介する。A系列はわれわれが普段「そこを生きている」と思ってる主観的時間。B系列は年表のような客観的な時間。そしてC系列はただの配列,つまりいまここにオレがA系列,B系列,C系列と並べたようなもの。で,マクダガートはAとBの時間は実在しない,かろうじて実在するかもしれないのはCだけだ,と言った,と。

 ここで話はいきなり量子論に突入(量子論に詳しくない人はこの辺であきらめてください)。量子論の対象となるミクロの世界では,コトの因果は我々の思っているようには確定しない。知ってる人はファインマン図形を思い出して欲しいが,十分に近づいた2つの粒子間で光子が交換されるという図は,座標軸を変えればそのまま粒子と反粒子がぶつかって対消滅し,それで発生した光子が再び粒子と反粒子に別れた,とも言える。つまりこの世界では時間と空間は入れ換え可能で,マクダードの言うC系列にそっくりだ。言葉を変えて言うとこれは,物理的な時間というものは実在しないということだ。ないんですよ,時間なんて。

 しかしである,素粒子の世界はそうかも知らんが我々の世界には時間がある。あっちになくてこっちにある以上,これはあっち(ミクロ)の世界からこっち(マクロ)の世界に向かうどっかで生まれたことになる。論理的ですね。ここで先生は突然エントロピー増大の法則を持ち出す。知ってると思うがこれは「エントロピーは増大する,絶対的エントロピーは絶対的に増大する」というもので(なんか混じりました?),ぶっちゃけ無秩序無秩序と草木もなびく,という話である。

 その,世を挙げて無秩序に向かおうというご時世にあって,我々の持つ「生命」というものは秩序そのものだ,とおっしゃるわけだ。絶え間ないエントロピー増大の圧力にさらされながら「生命」は自分を構成する「秩序」を出来得る限り保とうとする。ここに「意思」が生まれ,意思が「時間」を生む。宇宙は単に事態が並んでいるC系列のものなのだが’,そこを走査するのが意思だから,そこにA系列の時間が生まれるのだ,ということなんですわ,はぁはぁぜいぜい。

 あの…これで解説はおしまいなんだが,もし上の説明がなんとなく「ジが当ってカーン,ジが当ってカーン,はいジカンの出来上がり」てな落語みたいに思われたとしたら,それは一重にオレの要約が悪いので,自分でこの本を買って確認してくだされ。よろしくお願いいたしまする。 


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