「経済」と聞いてパっと何が思い浮かぶだろ。オレはね貯金通帳でしたw。「経済」って言葉は実になんつうか使うヒトによってバイアス掛かりまくりの曖昧模糊語で,一国の大臣とかが使う時にはほとんど「でっかい金落としてドカンと発展しましょうガハハハハ」みたいな昭和40年代東宝映画に出てくるハナ肇みたいなニュアンスになるくせに貧乏人が使うと単なる倹約の意味になってしまう。通帳が浮かんでしまうオレは貧乏である。
しかしこの本は,そういう荻原博子的貧乏人の倹約について書かれたものではなくて,MIT(マサチューセッツ工科大学)の教授であるバナジー,デュフロの両氏が,オレごとき裸足で逃げ出すような世界の最貧国における地道なフィールドワークを10年も続けて発表した「なんで最貧国に対する援助はいっくらやってもうまく行かないのか,調べてみたからちょっと聞きなさい」という本なのである。
その細かい調査方法や統計処理については紙幅(知識も)も足りないので詳述しないが,今までこのテの事業に関して言われてきたいろんな言説。たとえば「月にたったこれだけ,あなたが援助してくださればこんなに沢山の子供たちの飲料水が殺菌できて病気にならずに済むんです」って良いヒト召喚話。あるいは「貧乏人は貧乏人根性が染みついてるから援助してやっても使っちまうだけで自立などしない無駄ぢゃ無駄ぢゃ」というジャコウネズミさん仮説。確かにどちらも一片の真実を語っているが,実際に行ってみると世の中そんな簡単なものではないのだよ,と。
たとえば上の飲料水の消毒の話。水の中の病原菌は見えないからその効果が実感できないので消毒薬を供給しても使う人が少ない。同じ理由で栄養をつけろと生活改善のアドバイスをする医者よりすぐ注射をする医者の方が信用され,同じ注射でも(先進国の援助によって)無料で受けられるマラリアなどの予防接種はまさにその「無料である」ということが「無価値である」と思われて普及しない。日常の健康管理にお金をかけないため,病気になったときにより多くの出費を強いられる。結果的に医療関係の支出の割合は先進国の人々より高率であるにも関わらず不健康な人が多くなっている。
銀行にそっぽを向かれる貧乏なヒトは高利の金を借りるしかない。返せなければ生活は破綻する。が,では銀行が彼らに対する融資に二の足を踏むのか,年利にすると20億%というばか高い利子を取る高利貸しがなぜ商売になるのか。当たり前だが貧乏人の商売は失敗する可能性も高い。失敗すれば借金は取りはぐれる。数少ない成功者からの返済金でメシを食い金貸し商売を続けていくにはこれは必要な高利なのだ。それにそもそも貧乏な人が高利の金を借りてまで起業するのは彼らがフロンティアスピリットに満ち溢れているからではなく,雇用される機会が少ないからなのである。
実を言うと,オレがこの本読んで感じたのは,現在貧困に喘いでいると考えられている国や地域で,どのようにしたらそれを改善できるかという展望なんかではなく,どうやらまずいことにわが国はこれらの国が現在陥っている状況に,どんどん近づいているような気がするやないかということだ。アンケートをとると世界中の貧乏人が子供の将来について共通の夢を持っている。それは子供に公務員になってもらい安定した生活送って欲しいというもの。逆に言えば人々が公務員を目指す国では貧困が深刻さを深めているということだ。ほらね,笑ってられないでしょ?